私が発明の母です

発明する主婦が増えている。 主婦の日常生活からきずいた、ちょっとしたアイデアが、もしかしたらお金にな るかもしれない! そう夢見る主婦たちの”カリスマ”が、中澤さんだ。
大ヒットした「初恋ダイエットスリッパ」 が35億円、となると立派な実業家だ。
なのにネーミングは”初恋”。
その”夢見る”感覚が、中澤さんの発明の原点だ。
大ヒットした「初恋ダイエットスリッパ」 が35億円、となると立派な実業家だ。
なのにネーミングは”初恋”。
その”夢見る”感覚が、中澤さんの発明の原点だ。
「初恋ダイエットスリッパ」は、10年間で400万足、35億円の 売上!
”カリスマ発明主婦”中澤信子さんの大ヒット作は、姑の介護に苦労した体験から生まれた...
マンガなら、頭上で電球がピカッ! と輝く絵。お芝居なら、手のひらにコブシをポーンとぶつけて、「ひらめいた!」...そんな瞬間から始まる「一攫千金のシンデレラ・スト-リ-を夢見たこと、ありませんか?
毎日の家事のさなかに「こんな商品があれば便利でいいのにね」と つぶやいたこと、きっと、あなたにも一度や二度はあるはず。
もちろん、夢と現実との間には大きな隔たりがある。
ふと口をついたつぶやきも、忙しさに紛れ て忘れてしまうことがほとんどだろう。
だが、夢を夢のままで終わらせなかったひとたちは、確かにいる。
8月16日、大阪の近鉄百貨店・上本町店で開か れた「主婦の発明家展」は、大盛況。展示販売されているのは、たとえば年商一億円を誇るダイエット用のベルト「肉取物語」、目薬を点眼するときの補助具「あかんべ!」、大手通販による全国販売が決まったばかりの調理用網袋「早わざネット」...
いずれも、主婦による、”主婦の目”を生かした発明品だ。
その中で特に、にぎわいを見せていた一角がある。
人だかりの中心にいるのは、中澤信子さん(56)...
「どうぞ、覗いてみてください。見た目は「疲れる かな?」と思うでしょうが、ちょっと履くだけで気持ちいいんですよ」
信子さんがそんな言葉でお客さんに紹介しているのは、「初恋ダイエットスリッパ」。
その名 前でピ-ンときたひとも多いはず。
もしも万が一商品名に馴染みがなくても、「ほら、かかとを切り落としたスリッパですよ」と一言説明すれば、ぜ-ったいに だいじょうぶ。
なにしろこれ、300万足を売った大ヒット商品なのだから...
そう、一見どこにでもいそうなフツ-の主婦の信子さんは、じつは「初恋ダイエットスリッパ」の生みの親。
発明で得た売上が10年間で約35億円に達した、カリスマ発明主婦なのだ。
そんな信子さんの名刺には、’92年に設立した「アイデア工房 阿蘇山」の代表取締役社長という肩書きだけでなく、ニックネームも記されている。
〈よかよか〉 生まれた故郷・熊本の方言で、「いいじゃな い」「気にしない」。
信子さん、その言葉を口癖に、いままで発明に励んできたのだという。
会社の名前も、口癖もニックネームも...”ふるさと”だ。ならば、カリスマ発明主婦の原点を探る旅は、阿蘇の麓の小さな農村で過ごした少女時代から...
「実家は農家でした。物心ついたころから家の手伝いをさせられていましたが、私の関心はいつも畑ではなく馬小屋でした。というのも、馬小屋にはおもしろい農機具がいっぱいあったんです」
たとえば、わらを入れて足で踏めば一本の縄になって出てくる縄編み機。
幼い信子さんには、それが不思議でしょうがない。
「どうなっているんだろう、と縄編み機の下に潜って観察していて、「危なか!」としかられたこともありました」
信子さん、5歳。ちっちゃな電球は、すでにそのころから頭上で輝く準備を整えていたのだった。
姑も介護のストレスと運動不足で体重80キロ以上になり、発明を!
5人兄弟の真中だった信子さんは、小学校の高学年になると、お手伝いは草取りの担当になった。
だが、女の子の小さな手では雑草を根っこから 抜くのは難しい。何とか楽に抜けないかと考えた信子さん、馬小屋の片隅に正月用の門松を見つけた。
ピカッ!頭上で電球が光った。
先端が尖った 門松の竹を見て、草取りシャベルを思いついたのだ。
竹を抜いて、ノコギリで短く切って、はばもナタで調節して、先端に切れ込みを入れて。。。。
完成した草取りシャベルを見た父親は「信子は女の子なのに、よかもん作ったね」と大喜びして、我が事のように自慢しながら家族に見せた。
「それからですね、 発明にのめりこんだのは。
もしも「余計なことばかりして」と叱られていたら、発明熱も冷めていたのかもしれません...」
また、こんなこともあった。
和式便器で用を足した祖母が「足がしびれた」とこぼすのを聞いた夜、お風呂に入ると真新しいセルロイドの腰掛があった。
ピカッ!信子さん、さっそく 小刀で新品の腰掛けの前の部分を切り落とした。
これを便器の上に置いて座れば、足がしびれずにすむ。
つまり、洋式便器の発想だ。
「祖母に渡すと 喜んで、便所に持っていってくれました」
ところが5分後、便所からはドスンという音と祖母の悲鳴...
アイデアはよかったものの、切れ込みを深く入れすぎて大人の体重を支えられなかったのだ。
でも、失敗は成功の母だから...よかよか!
そんな少女時代を過ごした信子さん、絵の勉強のために上京し、21歳の時にガラス工芸家の男性と結婚してからも、発明を楽しむ心は忘れなかった。
夫の工房の手伝いや家事、3人の子供の育児に追 われながらも、タオル地の「鍋つかみ兼ふきん」や、子供の成長を記録できる移動式の柱の傷「成長の証明」などを発明しては、友達にプレゼントしていたのだという。
ところが、結婚から10年近く経ったころから、信子さんの生活は一変する。
寝たきりになった夫の母を自宅に引き取って、介護の日々が始 まったのだ。
「介護は想像以上に大変で、食事やオムツの交換などで家から一歩も出られなくなりました。
やがて、ストレスからくる耳鳴りで、夏でもないのに朝からせみの鳴き声が聞こえるようになって、過食気味になって体重が増え、その結果が、二階に上がるのに這い這いで2時間も掛かるほどのひど い腰痛です...」
腰痛のひどいときには起き上がることすら出来ない。
「よかよか」の精神も限界に近づいていた。 長女のるり子さんが「お母さんを見てると、結婚したくなくなるわ」と漏らすほどの苦しい日々だった。
医者や整体師は信子さんに、「痩せなさい」「運動しなさい」と言う。
確かに、身長159 センチで体重80キロ以上というのは太りすぎだが、介護に追われる信子さんには、運動をする時間すらない。
姑を引き取る前に通っていたバトミントン・クラブで汗を流そうと「一時間で帰ってきますから」と姑に頼んでみても、答えはそっけなく一言...
「わざわざ体育館に行かなくても、わが家の1階と 2階を行ったり来たりしていれば、いい運動になりますよ」。
正直がっくりきた。
ところが、信子さん、姑のその言葉を逆にバネにした。
「家事をしながら運動ができないだろうか、と考えるようになったんです」
必要は発明の母...
信子さん、「必要」を「逆境」に置き換えたのだった。
一年間で10キロ減! 口コミが口コミを呼び、3年目で1億円突破 ある日のこと。
台所仕事で高い位置の棚にあるものを取ろうとして、両手を伸ばし、つま先立ちした信子さん、踵を浮かせると体の筋がピンと伸びて気持ちがいいことに気づいた。
それからは家の中を歩く時にも意識してつま先歩きをするようになったのだが、無理な姿勢はそう長くは続けられない。
数歩がせいぜいだ。「どうしたものかと、ふと足元を見たとき、履いていたスリッパの踵が見えたんです」
その時だ。ピカッ! ひさびさに頭上で電球がまば ゆく光った。
信子さん、即座にハサミを取り出し、スリッパの踵を切り落とした。
介護ストレスで精神のバランスを崩したんじゃないかと驚く子供たちをよそに、信子さんは早速そのスリッパを履いて台所を歩き回ってみると、運動した時のように太股が痛くなった。
「これは疲れる! ダイエットスリッパだ!」
そう、「初恋ダイエットスリッパ」の原型は、この日に誕生したのだった。
今までの発明品よりもはるかに強い手ごたえを感じた信子さんは、喜ぶまもなく 改良のための試行錯誤をはじめた。
昼間は介護や家事、夫の工房の手伝いがあるので、試作品作りは家族が寝静まった深夜。
「どうしたらもっと履き 心地がよくなるか」「疲れないようにするにはどうすればいいか」と、素材を替えてみたり、クッションを入れたり...
最初のうちは踵の切口も不揃いで、子供たちから「友達が来ると恥ずかしいから、玄関に置かないで」と言われていたが、スリッパの効果については、確信あり。
なぜって、信子さん自身、「ダ イエットスリッパ」を1年間履きつづけて、腰痛はすっかり良くなり、体重も10キロ減ったのだから。
「特許申請もしておいたんですが、それを知った主人は 『おまえに出来れば誰にでもできる』だって。
ひどいでしょう? でも、その一言のおかげで、私、最後までがんばれました」
夜なべ仕事を始めてから、3 年――。
ついに信子さん、自分でも満足のいく試作品を作り上げた。
'92年、婦人発明家協会の『なるほど展』に出品された『ダイエットスリッパ』は、佳作 に入選した。
だが、信子さんのチャレンジはまだ終わらない。
商品化―それも、企業に売り込むのではなく、自ら製造・販売を手がけることに決めたのだ。
「自分で工場を探してお願いしたんです。 いくつかの工場からは『奥さん、そんな危ないことはやめなさい。どうせうまくいきっこないんだから』と止めら れたんですが、発明品は自分の子供のようなものですから...」 だからこそ、製造を始めてからも、納得のいくまで改良を重ね、工場を五つも替えた。
掛かったお金は、約200万円。
「お金? ぜんぶ私のへそくりから出しました。結婚するときの母の言いつけというか実家の家訓が、『女はへそくりすべ し』だったんです。 それが役立ちました」
そういう感覚は、あくまでも主婦。
しかし、『ダイエットスリッパ』は信子さんの予想以上の反響を呼んだ。
「腰痛 が出なくなった」「ウエストが細くなった」「冷え性が改善された」...
口コミが口コミを呼び、年商は一年目が9千万円、三年目で一億円を突破して、後は 四億、五億、最高の年は六億にも達しました。
これぞ一攫千金、世の発明主婦予備軍の憧れるシンデレラ・ストーリーだが、信子さんは、かぼちゃの馬車に乗り込む前の日々を、いましみじみと振り返るのだ。
「『ダイエットスリッパ』を発明した当時、私はなんの生き甲斐もないように思っていた42歳でし た。何か夢中になるものがほしかったんだと思います。だから、体はきつかったけれど、みんなが寝静まったあとに試作品を作るのは楽しくて楽しくてし かたなかったんです。
やっぱり、物を作り上げていく楽しさなんですよね」
失敗品にも愛情を。
「発明品は自分の子供のようなものですから」粗悪なコピー商品との差別化のために6年前に『初恋ダイエットスリッパ』に改名してからも、ダイエットスリッパは”定番”として揺ぎ無い人気を保ちつづけ ている。
現在はSSからLLまで5種類のサイズが揃い、色柄も30色を超えた。
さらには、アメリカ、イタリア、台湾、韓国、中国...と販売網は海外へも広がった。
「発明品は自分の子供のようなものですから」という信子さんの言葉にならえば、ロングセラーとなった『初恋ダイエットスリッパ』は、優等生の長女―――となるだろうか。
もちろん信子さんの頭上の電球はその後も順調に輝きつづけてきた。
「姑は8年間の介護の末、84歳で亡くなりました。いまは子育ても終えて、ようやく発明に没頭できるようになりました」という通り、長女につづくヒット作ももすでにいくつも誕生している。
ピカッ! 『女優さんのおもいっきり多目的手袋』――
レースにリボンをあしらい、指先が二重構造になっているので爪やマニキュアを気にすることなくお洒落な感覚で家事や 庭仕事が出来る手袋。ピカッ! 『明日元気にな~れ』――
指と指の間にクッションがついた5本指の靴下。足指のストレッチ、血行促進、外反母趾の予防にも役立つという。ピカッ! 『厚地用待針』――
鎌倉の流鏑馬の弓のしなりからアイデアを得た、くぼみをつけた待針。これなら、布地にさしたまま でもミシン縫いやアイロン掛けがスムーズにできる。
信子さんお勧めの”子供たち”を紹介していけば、きりがない。
なにしろ、名刺の裏に記された商品は、『初恋ダイエットスリッパ』をはじめ25種類にも及ぶのだから。
もちろん、発明はしたものの商品化にはいたらなかった、ちょっぴり不出来な”我が子”もいる。
「たとえば、『うつの日ベール』ですね。
黒いレースで出来たベールで、気持ちが落ち込んで話しかけられたくない時にかぶっておくものです。
これ、私が姑の介護で疲れているときに考えたんです。
それから、ガラスで出来ているので料理をなかなかつかめない『ダイエット箸』、時間がくるまでマスクが取れずに食事が出来ない『タイマー付きダイエットマスク』も...
みんなには不評だったりしますが、真剣に考えたものばかりなんですよ」
じつは信子さん、高校時代に子宮後屈と診断されて、子供は産めないと医師から宣告を受けていたのだ。
「子宮後屈でも妊娠・出産は可能なんですが、当時の熊本 の田舎では、そう診断されてしまったんです。
子供が出来ないのでは、いくらいいところにお嫁に行っても、後継ぎを産めずに離縁されてしまう。
『こうなれば、自分ひとりで身を立てていくしかない』と、好きだった絵の勉強のために上京したんです」
一度は”母”になることをあきらめた信子さんだからこそ、 3人の子供たちに対してはもちろん、発明品の”我が子”たちに注ぐ愛情もひとしお、なのかも...
・・・と、ここに、るり子さんが登場。
『アイデア工房 阿蘇山』の仕事を手伝っている、るり子さんは記者にいたずらっぽく笑いかけて、信子さんが話さなかった”お蔵入り”の品について教えてくれた。
「『ミニスカート用ハンドバッグ』っていうんです。
ハンドバッグに三角の布地が付いていて、電車などで座る時にそれを垂らせば膝と膝の間を隠してくれるんですけど、普通あれは考え付きませんよねえ」あきれ顔のるり子さんに、信子さん、すかさず反撃開始。
「あら、あれはあなたのための発明なのよ。
ほら、あなたがまだ学生の時、一緒に出かけたら、ミニをはいてるからずっと座らなかったでしょう。だから、私が…」
あ、そうか――。 記者の頭上でも、電車がピカ ッ!
少女時代に祖母のために”洋式便器”を作ったのと同じじゃないか、この話。
優しさ、なんだ。
家族に対する優しさだったり、いつまでも初恋のころのように若くてきれいでいたい女性への優しさだったり...。
優しさは発明の母。
カリスマ発明主婦の、カリスマの所以、見つけました。
ピカピカッ!
いちばん大切なのは、秘密を守ること。
アイデアは家族にも話さない!
信子さんは週に2~3日、鎌倉の海を間近に臨むマンションの一室を訪れる。
発明をまとめたり、試作品を作ったりするための”アイデア部屋”だ。
「5年前に買いました。 自分へのご褒美ということもあったんです。一生懸命がんばって、いろんなことが実現できた。人から見れば『たかが』かもしれないけど、それなりに努力もしてきましたし」
でも、この言葉は正確ではない。
信子さんは「してきた」と過去形を使って言ったけれど、ほんとうは現在形。
るり子さんが教えてくれた。「母は今、4歳になる孫にべったりなんですが、転んだ時のけが防止のために、赤ちゃんが生まれる前から頭に巻くバンドを考えていました。生まれてからも、洋服に染みができないように、裏地がビニールになった前掛けを作ってくれたんです」
いや、現在形というより、現在形のほうがふさわしいかもしれない。
なぜって、取材の最後に、信子さんは申し訳なさそうに記者に謝ったのだ。
「ごめんなさい、取材に答えながら、頭の中では、 来年の3月に発明展に出す発明品のことが気になってるんですよ」
もちろん、発明家にとって一番大切なのは秘密を守ること。
アイデアはるり子さんにすら話さないという信子さんだが、本誌記者のために、ちょっとだけヒントを与えてくれた。
「ネーミングは『不景気時代』です。基本は、この不景気の時代に物を大切にするもの、です」
う~ん、もう一声! 「洗濯物を保護するものです。 従来のものよりリスクも少なくて、安くて、いいもの」
残念ながら、ここから先の話は、来年3月のお楽しみ。
でも、信子さんの表情からすると、これはかなりの自信作のようであります。
さらに、もうひとつ。信子さんのお話 を伺っているうちに、発明ゴコロを刺激されたのか、カメラマンがポツリと言った。
「ウチも○○で困っているので、こんな△△があったらいいと思うんですが……」
すると、信子さん、真顔になって身を乗り出してきた。
「それは面白いわね、ちょっと考えてみるわ。あなたも自分でもっと考えてみて。でも、 カメラマンさんも記者さんも、このことは誰にもナイショよ」
そして、取材を終えた記者とカメラマンに、念を押すように―――「くれぐれも、さっきの話はナイショ よ」。
ああ、でも、こんな風に記事に書いちゃう記者はやっぱり発明家にはぜんぜん向いてないんでしょうね…。









